2008年12月9日火曜日

早朝ソープ 

オキニで常連の○子ちゃんに今回も早朝襲撃です。ご対面で部屋に行く廊下を歩くときに、私のズボンのポケットに姫の手を入れさせて、ズボン越しに息子も会いたがっていることをニギニギしてもらい息子を確認させながらお部屋を訪問。部屋に入るなり彼女の上着とブラジャーを外して、まずは胸に抱擁。黒のパンティをずり下ろして秘部にもご挨拶の口付け。姫はウフフと笑いながら私の服を脱がしていく。パンツも脱がされたところで裸で抱き合うと息子は姫の腹の位置を直撃でツンツン。この店は2回戦が可能なのですが、今日はマットでゆっくり楽しみたいと耳元でリクエスト。OKの合図として姫の口がだんだん下に行き、硬直した息子をパックリで戦闘開始。今日も仕事が徹夜で前日に風呂には入っていないのですが、姫は会話でそれを知っていても気にする様子も無く息子を丁寧に嘗め回してくれます。

2008年11月22日土曜日

最高と最悪

今年の年明け、以前から気になっていた人妻系ホテヘルに2回行ったのですが月とすっぽん、天国と地獄を味わいました。まずは1回目、新年姫初めです。初めてのお店なので、まずは写真を見ます。「うーーん・・」このお店、比較的年齢の高い女性が多いことはわかっていましたが、写真を見ると、「あ~オバサンだな」という女性ばかりでイマイチ気乗りしません。仕方なく、この人なら無難かという女性を消去法で選びました。受付を済ませて実際に会ってみると・・・ややオバサン入りかけてる。写真からマイナス10点というところでしょうか・・そんなわけで、出だしからテンションが下がりました。でも話してみると性格はよさそう。ちょっとおっとりした感じです。しかしホテルに入ると本性を発揮してきました。上着を脱ぐやいなや、抱き合ってのディープキス、そしてそのままベッドに・・シャワーも浴びずプレー突入です。こちらが責めると敏感に反応して抱きついてきます。攻守交替したら今度は激しく責めてきます。そろそろフィニッシュ、素股・・かと思いきや、わたしのモノをつかんで、そのまま中に挿入・・えっ・・思いがけない展開に戸惑います。このままだといきそう・・というところで彼女はプレーをとめ自分から横になりました。そして自分から足を広げます。挿入してくれと言わんばかりの姿勢です。「入れるよ・・」というと軽くうなずきます。生で挿入、そして程なく快感が込み上げてきます。「行きそう・・」「きて・・・」そのまま彼女の中に熱いものを放出しました。これで普通ならまったりというところですが、彼女はなおも求めてきます。自分はそんなに強いほうでもないのですが、彼女の乗せられて、結局3回挿入しました。(3回目はいけませんでしたが・・)終わって、満足感というか、何だか信じられない気分でした。

2008年11月3日月曜日

今までで最高のオキニ!! 

数年前のオキニの話をさせていただきたいと思います。私は四十代で南関東に住んでいます、風俗には若い頃は良く行っていました(あの頃はハコヘルです。)最近は年に一~二回デリヘルに行くくらいでした。趣味の関係で年に数回、北関東のとある街(ギョウザが有名です)へ行っては夜デリヘル嬢を呼んでいました。しかし、ある時もっと海沿いの街に泊まった時です。いつも通りデリヘル嬢を呼ぼうとインターネットで調べていました。しかし数件電話してもすでに予約でいっぱいで断られました。地方の初めての街で風俗の情報に詳しくありません。当日の夜に電話しても予約でいっぱいとは今回はダメかなとは思いましたが、酒も入りこのまま寝る訳にはいきません。最後と思い電話したら、インターネットに載っていた女性が予約を取れました。指定された時間にお店へ向かいました(このお店はデリヘルですが店にお客さん用の待合室があります)しかし指名した女性はなぜかNGとの事、仕方なくリストの中の女性から再度指名します。お金を払い指名した女性とラブホ(店の隣です)の前で待ち合わせ。思っていたより十分カワイイ!!リストの写真は顔にモザイクがかかっていて詳しくわかりません。部屋を指定して、趣味の話をしてからいざプレイです。とここで思わぬ誤算、とにかくキスが好きな子でシャワー中でも、お風呂の中でもず~~と離れません。一通りプレイが終わり私の私の物も臨戦態勢です。私は思わず「入れたいな?」と言っていました。すると、嬢は「このデリヘルは本○OKなの」って言うではありませんか。なんて言う素敵な言葉、思わずスキンを着けて楽しみました。プレイ終了後、嬢とお話。最初に予約した嬢はなんと前のお客がスキンを着けず中だししてしまい病院へ行ったとの事。しかし、話も合うし顔は好みだしで結局、年二回、五回位お世話になりましたが、なんと吉原のソープランドへ転職すると教えられました。「近くになるから、一度行くね」と話はしましたが結局、名刺も何処かにいってしまいお店の名前も解らなくなってしまいました。今まで風俗嬢の中でもダントツトップの女性でした。きっと吉原でも人気でがんばってると思います。しかし、風俗は止められず又新たな女性を探し求めています。

2008年10月17日金曜日

興奮しすぎ?

元風俗嬢(20代前半?)の子とラブホに行ったときの出来事です。指を入れて5分ぐらい?攻めていたら、イキそうになりました。というよりも、ベッドに出してしまいました。女の子は気づいていなかったので、イキながら指入れを数分続けていたら、またイキそうになり、指入れをしながらベッドにまた出してしまいました。女の子に気づかれないように、指入れをしていたら、2回目を出して間もなくに女の子が「入れて」と言ってきたので、ハメていたら、これまた数分もしないうちに、イッテしまいました。ここまでのプレイで、女の子はオラの体のどこも触っていないのに、3回もイッテしまいました。30~40分休憩してから、ハメて4回目を出しました。4回目も数分でイキましたけどね。女の子が「眠くなってきちゃった」と言っていたので、女の子もイクと気持ちよくなって眠くなる人もいるんでしょうか?女の子が何にもしないでただ寝ているだけで、オラが勝手に4回もイッテしまいました。最後に出してから、3週間ぐらいヌイていませんでした。なので、プレイしていてもすぐにイッちゃうとは自分でも思っていましたけどね。早漏だと女の子に攻めてもらうとすぐイッちゃうので、攻める男が多いのかなと思ってしまいました。指を入れて攻めているだけなのに、興奮してきて、イッちゃうんですよね。女の子が淫らな行為で感じていて、乱れる姿に興奮しちゃうのかもしれないですね。

2008年9月28日日曜日

お水で再会

Nさんとの出会いは5年ほど前、都内某所のマンヘルでした。背が高くスラッとしていて、それでいてバストは手のひらサイズ、しかも愛嬌があって明るく、一目で気に入りました。でも雑談の中でニキビや肌がキレイでないことを気にしていて、「お客さん肌がキレイでうらやましい」などと言います(実際私は同年代の男性の中では肌が白くキレイな方)。それをじっくり聞いてやり、いくつかアドバイスしてやったら励まされたと感じたらしく、気に入って貰えました。プレイの波長もピッタリ合い、お互いそれが当然であるかのように、PとVが一つになります(もちろん本○は厳禁のお店)。そしてまた彼女のVに私のPがピッタリフィットだったらしく、あえぎ声を気にしつつ、同時ゴールを果たしました。至福の時を終え、再会を約束して店を出ました。少し後に再会したら、某巨大掲示板に彼女についてのカキコがあったらしく、「ガ○マンって書かれたぁ・・・」と怒ってます。かわいそうに。マンヘルでの本○を名前入りでカキコする輩に私も怒り、「大丈夫、Nはガ○マンなんかじゃないよ」と慰めてやります。その日もPV合体しましたが、特にガ○マンとは思いませんでした。シャワーの時にそう伝えたら、「掲示板に書いたヤツが短小なんだ!そうだそうだ!!」と一人で納得してました(笑)そうかと思えば私のPをしごき「これ大きくて気持ちいい♪」と上目遣いで微笑んできます。奥が感じるタイプだったようです。

2008年9月12日金曜日

久しぶりに・・・ 

2ヶ月ほど前に久々にソープに行ってきました。しばらく地方にいたため、3年ぶりくらいになります。(そこにも風俗はあったのですが、なぜか行く気がしなくて・・・)やはり数年前に行ったことがあるお店に行きました。しばらくぶりなので知らないとこでボッタクリに会うよりはいいかと。(NK流で有名な街です)当然、昔いた娘はおらずフリーで入りましたが、久しぶりだと待ってる間もちょっとドキドキしますねぇ(笑)ついた娘は20後半のぽっちゃりした娘です。私は結構人見知りする方なんですが、その娘とは結構早く打ち解けられました。きっとトークがうまいんでしょう(笑)うまくこちらの緊張をほぐしてくれました。軽くビールをいただいてから、いよいよプレイ突入です。大衆店のため即即などのサービスはなく、あくまで一般的に始まりました。身体を洗ってもらって入浴から潜望鏡、マットに移ってからもごくごく一般的なサービスと流れていきました。マットでは当然ゴム付でしたが、それも当たり前の話。ただ私は騎上位ではイケナイたちなので、そこは軽く流してもらい少し休憩してからベットへと行きました。(どうも短時間では2回出来ないたちです)全身リップから生F、69へと移り、再度騎上位でまたがってきたときにはゴムが着いていませんでした。良いのか?と思いながらも生派ですので遠慮なくガンガン突かせてもらいました。正常位、バックと体位を変えつつ最後はきっちり中出しさせてもらいました。以前この店に来てたときはNSの娘はいなかったので、久しぶりに風俗行っていきなり生中出しからってラッキーだったんでしょうかね?(笑)幸いビョウキももらってない様ですし・・・話も結構合う娘だったので、今度またヒマができれば行ってみたいと思います。特に面白い話じゃなくてすみませんが・・・

2008年8月21日木曜日

ついに・・・

本日ある行事にていい結果が残せたので宴会後、勢いで土浦に繰り出しました。10人の大所帯での出勤wとなったのでタウン情報を見て各々違う店にばらけました。私は以前に痴漢プレイの出来る店に行こうとしたがあったのですが混雑の為断念した事があった、っと投稿したので、再挑戦しようと訪問したらマタマタ激混みなのです。それなら早く入れる店を~っと物色しているとヘルスの呼び込みのおっちゃんが!信用して入ってみると、どうやら新規の店らしく綺麗な作りに感心して待合室で待つ事5分。部屋に入ったときに私は絶句しました。な・なんと、某グラビアの熊○曜子ちゃんにクリソツ(古っ)ではありませんか!話も最初は堅かったのですが、私が喋りだったこともあり次第に打ち解けイイ子だなァなどと思いつつも次第にプレイは過激に。一通りのプレイは普通でしたが、なんと言っても容姿&性格が最高です。本当にあっという間の50分でした。今までお気に入りの子が居なかった私ですが、とうとうお気に入りが出来ました。マジでハマリそうで怖いのですが、しばらくは通ってみようかと思っています。今後何度か通い進展などありましたらまた駄文させていただきたいと思います。

2008年8月4日月曜日

誰にもかな・・・?

昨日久しぶりに池袋のイメクラに行ってきました。そこは基本的に夜這いをするところです。まず、受付で写真を見たのですが、みんな写りが悪くかなり不安でした。店員が、この子は早いと言うのでその子にしました。その後、すぐ案内されとりあえずアイマスクをしている子を責めていたんですが、基本的にアイマスクしているより顔を見るのが好きなのですぐとってもらいました。そしたら、なんとめちゃめちゃかわいかったんですよ。びっくりです。よく、逆でだまされることはあったんですが。その後、普通に攻めていたら、グチョグチョになってきたところで攻守交替しました。普通にサービスしてもらっていたのですが、なんとなくおっぱい触ったりあそこを触っていたら、目がトローンとしてきて女の子が上になりながらあそこでち○ち○をつんつんしてきました。僕がなんか危ないねっていったら、お店にばれると?と聞き返してきました???もうこの時点で彼女は入れる気だったんですね。そうこうしているうちにもう入っていました。しかも生で・・・はじめは騎乗位でその後正常位で突きまくり、さすがに中田氏はやばいと思いおなかに出しました。その後シャワーを浴びて帰ろうと思ったのですが、少し座って話をしていたらあそこを触ってきたので不覚にも半勃起してしまいました。そうしたら彼女は、この状態でいきなり犯してと言ってきたのでシャーワーを浴びたのに又その状態で入れてしまいました。その後電話番号の交換をして帰りましたが、今日の朝メールで今日又会いたいとのことなので、今日はプライベートで会ってきます。また、報告します。

2008年6月22日日曜日

人妻性感2

時間は20時半ぐらいでお店に電話してお目当てのNさんが居るかを確かめたら居なかったので、迷ったんですが系列店の子とかも居るのでとりあえず写真だけでも見ませんか?と言われ受付に行きました。システムを説明されて写真を見せてもらうと直ぐにご案内できるのはお勧めの子だったんですが、私の目に止まったのは一人だけピンクのチャイナ服を着たRさんでした。30分ほど待つとのことですが、それでも待つと言って正解でした。30分程待合室で漫画を読んで案内となったのは、この前Wで来たのと同じマンションでした(笑)後で聞いたらこのマンションは20部屋ほどレンタルルームとして貸してるそうです。なんとなく懐かしい思いを感じつつこの前とは違う部屋へ着くと出迎えてくれたのは小柄でロリフェイス、その上Eカップの胸のRさん。モロ私好みです。残念ながらチャイナ服は着てませんでしたがシャワーを浴びながらその話題を振ると、実はチャイナ服は自前で着てるとのことでお店の趣向と言うわけではなかったようです。Rさん自前でチャイナ、ナース、メイド服、バドガール、スケスケセーラー服等を持っているそうで今度来る時は予約入れてくれたらメイド服着るよと言われ、リピーター決定(笑)シャワーを出てまずは熱いディープKISS、思わず押し倒して胸とお豆を責めました。しばらくすると攻守交代で仰向けにされて全身リップ!このリップが気持ち良くてしかもじっくり指の先まで丁寧に舐め上げてくれるのでもうこれだけで爆発寸前でした。リップ後はアナル舐めでこちらも焦らしながら責められもうメロメロ~病み付きになります。そこから玉なめに行ったのですが凄い!頭をグラインドさせてしゃぶってくれるのでたまりません。一心不乱に咥えられて爆発しそうになった所でローションで素股に移行されてちょっと残念に思って「もう少しでいきそうだったのに~」と言うと「後でまたしてあげるね」と言われたので怒ったかなと思いきや、数分後には素股を止めてローションの付いたままのをしゃぶり始めました。「ローション付けたのに良いの?」と聞くと「平気だよ~」とほんわり言われたのでお言葉に甘えてそのまま口に出しました。しばらく抱き合ってると時間が後20分切ったので麦茶を飲んで色々話しました。Rさん実はこの仕事を始めた頃は人妻だったのですが、今は×イチらしいです。その後はシャワーを浴びてお別れでしたが絶対また行きます。しかも多分今月中でしょう(笑)その時はまた投稿させてもらっても良いですかね?ちなみに後で調べて分かったんですが、RさんはTの系列店のHの方らしいです。こういう場合はどちらで予約するんでしょうかね~?まあそれにしても初めてのお気にに出会えたので今日は大満足でした。

2008年6月3日火曜日

ガソリン170円突破 道内スタンド 一気に10-12円上げ(06/02 07:32)

石油元売り各社は一日の出荷分から、ガソリンなど石油製品の卸価格を一斉に引き上げた。これに伴い全国各地の給油所で値上げが相次ぎ、道内でもレギュラー一リットル当たり一〇-一二円程度引き上げたところが多かった。一年前には一三○円台後半だった道内ガソリン小売価格は過去最高の「一七〇円時代」に突入。暫定税率が復活した五月に続く値上げに、多くのドライバーはため息を漏らした。
 原油高で元売り各社の調達コストが膨らんだのが要因。最大手の新日本石油は一二円、ジャパンエナジーは一三円、昭和シェル石油は一二・五円、出光興産は九・五円と、それぞれ過去最大級の引き上げとなった。
 「どこまで上がるのか。もう遠出を控えるしかない」。一日午後、札幌市中央区のスタンドで給油した男性(47)は「172円」と書かれた価格表に表情を曇らせた。近くの安売り店で給油した女性(26)も「安売り業者でも高い。気軽に車に乗れない」。
 道内小売業者では、最大手の北海道エネルギー(札幌)が、一五六-一六〇円から一二円引き上げて一六九-一七二円に。大栄商事(釧路)は一五八円を一七一円にアップ。安売りで知られる茂田石油(旭川)も、旭川市内四店のセルフ式スタンドの価格を一二-一七円引き上げ、一六三・八-一六八・八円とした。前側石油(函館)は一五六-一六一円で価格を据え置いたものの、二日に値上げを予定している。

北海道新聞より引用

2008年5月15日木曜日

“スシガール”小樽で下積み 米のギルバートさん

米国ロサンゼルスで、すしを握っているニッキー・ギルバートさん(35)が、小樽市内のすし店で約二週間の修業を積んで帰国した。全国放送のテレビ番組の企画で実現したもので、ギルバートさんは「すしの本場・小樽での経験をロスで生かしたい」と話した。
 ギルバートさんは大学在学中、日本料理に興味を持ち、サンフランシスコのすし店でアルバイトした。一九九八年、英語教師として来日し、帰国後、すしの専門学校で学んだ。その後、ロス市内でパーティーなどの会場ですしを握るビジネスを始め、「スシガール」という会社を設立した。
 今回、テレビ東京の「日曜ビッグバラエティ」(道内はTVH)が、外国人が飲食店で修業を積む企画を立案。ギルバートさんにすし修業の声がかかり、「おたる政寿司」(花園一)が指南役を引き受けた。
 ギルバートさんは先月十八日から同店で修業を始め、同店三代目の中村孝志さんの指導の下、包丁さばきの基本としてこんにゃくを切ったり、札幌の市場でネタの選び方を学んだりしたほか、カウンターで接客も体験、同三十日に帰国した。
 中村さんは「ギルバートさんは下積み経験がないので、技術は粗削りだが、がんばり屋だった。ここで体験したことをロスで生かしてほしい」と期待を寄せている。
 ギルバートさんは「しゃりの微妙な握りが難しい。でも、すしに関するさまざまな質問に答えられる勉強ができた」と笑顔を見せていた。
 番組は二十五日午後八時からTVHで放映される。(森畑竜二)

(北海道新聞より引用)

2008年4月27日日曜日

日3-2オ(24日) 小田が延長サヨナラ弾 西武とゲーム差なし(04/25 12:55)

日本ハムは延長十回、小田が1号ソロを放ち、今季2度目のサヨナラ勝ち。首位西武と ゲーム差がなくなった。  打線は1点を追う九回、二死一、三塁からスレッジの適時打で同点。十回、先頭の小田が右翼席に本塁打を放ち試合を決めた。先発ダルビッシュは9回を2失点に抑える力投。3番手・武田久が2勝目を挙げた。  オリックスは抑え・加藤の誤算で勝ちを逃した。 ◇札幌ドーム《6》 15,644人 日本ハム4勝2敗 0100000100-2 0000001011X-3 (延長十回) 勝 武田久15試合2勝1敗 敗 加藤10試合1敗6S 本 カブレラ6号《1》=ダルビッシュ 田中6号《1》=小松 小田1号《1》=加藤

(北海道新聞より引用)

2008年4月18日金曜日

容疑の男を送検 札幌の資産家殺害(04/16 13:51)

札幌市豊平区の保育園経営板摺(いたずり)アチ子さん(74)が遺体で見つかった事件で、札幌豊平署は十六日、殺人の疑いで、同区西岡、会社社長水嶋一夫容疑者(69)を送検した。
 調べでは、水嶋容疑者は三月三十日午後七時半ごろ、同区西岡の資材置き場に止めた板摺さんの軽乗用車内で、板摺さんの首を手で絞め、殺害した疑い。

(北海道新聞より引用)

2008年4月8日火曜日

街に大写し昔のニュース 札幌・ススキノ交差点

札幌・ススキノのススキノ交差点で、ニュース画像などを放映する「道新ビジョン」(中央区南四西三)で今月から、過去の北海道新聞の紙面を紹介する企画「フラッシュバック道新 あのとき私は」が始まり、道行く人が興味深そうに見上げている。
 午前八時から翌午前二時までの毎時十二分から一分間、月替わりで特定の年の紙面五枚を、縦四・三メートル、横五・八メートルの大画面に流す。
 今月は、映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の舞台となった昭和三十四年(一九五九年)。昭和基地に残されたカラフト犬タロ、ジロと南極観測隊が再会した感動の話や、札幌・創成川の河畔でサーカス小屋が焼けた火事のニュースなどが載った紙面が大写しになっている。
 また、今月は道内出身の若手アマチュアミュージシャン四組による邦楽やJポップの演奏を十五分おきに放送し、音楽活動を後押ししている。

(北海道新聞より引用)

2008年3月30日日曜日

国産ジェットを25機購入 全日空、設計にも参加

全日本空輸は27日、三菱重工業が開発を進めている国産初のジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」を25機購入すると正式に発表した。操縦室や客室などの設計にも参加する。
 海外のメーカーの同型機と燃費や客室の快適性、エンジンの騒音などを比較し、MRJの導入を決めたとしている。燃料コストの負担減などで、年間約50億円の増益効果が見込めるという。
 三菱重工は、海外の航空会社からも受注が見込まれることから、月内にもMRJの事業化を正式に発表する見通しだ。
 MRJは70-90人乗りの小型ジェット旅客機で、全日空は札幌、名古屋、福岡などと国内の地方空港を結ぶ路線を中心に運航する方針。就航は2013年以降になる見通しという。日本航空もMRJの導入を検討している。

(北海道新聞より引用)

2008年3月25日火曜日

がん拠点病院を倍増 道審議会 新医療計画を答申

道医療審議会(長瀬清会長)は二十四日、新年度から十年間の新しい「北海道医療計画」の道原案について、了承することを、高橋はるみ知事に答申した。原案では道民の死因の約三割を占めるがん対策として「地域がん診療連携拠点病院」を現状の二倍の二十カ所に増やし、七十五歳以下のがん死亡を二割減らすなど三十五の目標を盛り込んだ。
 医療計画は、医療法で都道府県が策定することを義務付けられており、道は一九八八年に初めて策定し、今回で二度目の改定となる。原案では、死因の上位に位置する「がん」「脳卒中」「急性心筋梗塞(こうそく)」「糖尿病」の四疾病と「救急」「へき地」「周産期」「小児」「災害」の五分野について対策を記した。
 がん対策では、現在、市立札幌など十カ所にとどまっている地域拠点病院を二十に増やし、その中心となる北海道がん拠点病院一カ所を別途指定。がんの原因とされる喫煙率(男性45%、女性12%)を全国平均以下に引き下げ、十万人あたりのがん死亡数(七十五歳以下)を、男性は一三二・二人から一〇五・七人に、女性は六九・二人から五五・三人とする目標を掲げた。
 四疾病対策では、四十歳以上に対する検診が有効とされていることから、がん検診受診率50%を目指し、生活習慣病などを対象に新たに始まる「特定健康診断」は受診率80%を目標とする。
 また、周産期医療では市立函館など五病院で休止している分娩(ぶんべん)について「再開に努める」とし、小児医療では人口一万人あたり一五・八人(全国平均は一七・八人)の医師数を十七人まで増やすとした。また、病院を選ぶ際の参考にしてもらうため、四疾病五分野ごとに設備などの基準を上回る医療機関名を道のホームページなどで公表する。

(北海道新聞より引用)

2008年3月18日火曜日

さよなら、北海商科大北見キャンパス 31年の歴史に幕 最後の卒業式

三月末で札幌に全面移転する北海商科大の北見キャンパスで十六日、最後の卒業式が開かれ、前身の北海学園北見大時代を通じて三十一年間の歴史に幕を下ろした。
 卒業生四十二人のほか、教職員や保護者ら計約百十人が出席。森本正夫学長から一人一人に卒業証書が手渡された後、卒業生を代表し、小西洋平さん(22)が「よい思い出を持って学びやを去ることができるのは皆さんのおかげ」と答辞を述べた。
 式の最後には、開学時に作られた旧学歌を全員で歌って、別れを惜しんだ。
 同大は一九七七年、自治体が土地などを提供する全国初の「公私協力方式」で開学。商学部のみの単科大学で、既に閉校となった併設の短大を含め、約七千三百人の卒業生を送り出してきた。学生減などから、二〇〇六年に名称変更して札幌キャンパスを開校するとともに、北見からの撤退を進めていた。

(北海道新聞より引用)

2008年3月6日木曜日

道内公立高 きょう入試 3万9千人挑戦

道内公立高の二〇〇八年度一般入試が五日から始まる。約三万九千八百人が志望校合格を目指し、学力試験や面接試験に臨む。
 道教委によると、一般入試を行うのは二百五十四校。このうち学力試験を実施するのは、全日制二百四十四校と四月に開校する定時制の札幌大通の計二百四十五校。推薦入試の合格内定者などをのぞいた実募集定員に対する倍率は、全日制、定時制合わせて前年比〇・〇一ポイント増の一・一〇倍。
 学力試験は五日午前九時二十分から午後三時半まで、国語、数学、社会、理科、英語の順に行う。六日も百九十三校が面接試験などを行う。合格発表は十七日午前十時。

 学力試験の各教科の問題と解答は、本紙のほか、五日午後三時半以降、北海道新聞ホームページ(http://www.hokkaido-np.co.jp/)上にも六日夕まで掲載。「国語」については、著作権にかかわるケースもあり、解答のみの掲載となります。

(北海道新聞より引用)

2008年2月29日金曜日

道内大荒れ 新千歳また閉鎖 3000人足止め

発達した低気圧と冬型の気圧配置が強まった影響で、道内は二十七日、道東と道央を中心に荒れた天気となった。新千歳空港では発着予定だった計四十八便が欠航。目的地に出発できなくなった三千人以上が空港内で夜を明かした。
 札幌管区気象台によると、同日の各地の降雪量は、網走管内斜里町五一センチ、新千歳空港二五センチ、恵庭市島松二三センチなど。
 新千歳空港では同日夜、大雪で滑走路の除雪が間に合わず、午後十時前に滑走路が二本とも使用できなくなった。出発できなくなった乗客のため同空港ターミナルビルが大会議室などを開放、毛布を乗客に配った。
 三時間以上機内で待たされ、午後十時半ごろ欠航を知らされた東京都板橋区の大学生石谷美穂さん(22)は「窓の外を見て飛ぶのは無理じゃないかと思った。明日はアルバイトなので、どうしよう」と困り切っていた。
 同空港の滑走路は除雪のため、二十八日午前八時半まで閉鎖される。また、二十七日は丘珠空港でも計九便が欠航した。
 道警交通管制センターによると、二十八日午前零時現在、吹雪などのため、高速道路が三路線三区間、道道は二十八路線三十三区間が通行止めとなっている。
 また、道教委のまとめでは、二十七日は網走、根室、釧路管内の小中高校計二十九校が臨時休校。四十二校が下校時刻繰り上げなどの措置を取った。
 同気象台によると、雪は石狩南部などを中心に二十八日朝まで続く見通し。多いところで平野部二○センチ、山間部三○センチの積雪を予想している。

(北海道新聞より引用)

2008年2月23日土曜日

戦力見抜く新たな目 三浦流熟知の沖田コーチ 開幕までJ1偵察行脚

対戦相手の戦力を分析する「スカウティング」の担当として今年からチームに加わった沖田優コーチ(29)が、熊本合宿で精力的に働いている。大宮時代の三浦監督の下で3年間、スカウティングの専門家として働いた経歴の持ち主。札幌が強豪ひしめくJ1で戦い抜くためには、新コーチの働きが鍵を握りそうだ。  17日、熊本で行われた韓国・水原三星との練習試合。観客席には、ビデオカメラを設置し、グラウンドを鋭く見つめる沖田コーチの姿があった。  相手はJ1ではないため、札幌の選手の動きを映像に収めるのが目的だったが、今後、シーズン開幕まで全国各地へ「偵察行脚」に出かける。3月に対戦する鹿島、横浜M、柏の戦力を丸裸にするためだ。  沖田コーチは千葉・成田高から筑波大に進み、筑波大大学院サッカー部のコーチを経て、2004年に三浦監督率いる大宮の普及部のコーチに。J1に昇格した05年からは、三浦監督が去った後の07年まで、分析担当のコーチとして活躍した。  三浦監督は昨年から、しばしばデータの重要性を強調していた。敵、味方の長所、短所を具体的な数字で示し、選手に分かりやすく説明できるメリットがあるからだ。だが、昨年は分析専任の担当者がおらず、強化担当やコーチが兼任していた。  格上のチームと対戦が続くJ1。分析の重要性を昨年にも増して痛感していた指揮官は、気心の知れた、かつての部下に白羽の矢を立てたわけだ。沖田コーチは「札幌は久々のJ1なので、生きたデータを伝えたい」と自分に求められている役割を自覚している。  まだ29歳と若く、ミニゲームで人数が足りない時に選手の代わりに入ることもある。スタッフからは「沖ちゃん」と呼ばれており、すでにチームに溶け込んでいる。  三浦監督以外にも、札幌とは縁がある。筑波大時代、当時FWだった曽田と2トップのコンビを組んでいた仲だ。「懐かしい。まさか一緒のチームでやるとは思ってもいなかったが、互いに協力してやっていきたい」。新コーチは人懐っこい笑顔で決意を語った。

(北海道新聞より引用)

2008年2月17日日曜日

特急にはねられ高2男子が死亡 北広島駅、自殺か

十五日午後一時三十五分ごろ、北広島市中央六のJR千歳線北広島駅構内で、東室蘭発札幌行き特急列車(五両編成、乗客約百人)に男性がはねられ、死亡した。乗客にけがはなかった。
 札幌厚別署によると、男性は恵庭市に住む高校二年の男子生徒(17)。運転士は、列車が同駅を通過するため構内に入った直後に男性がホームから飛び込んだと話しており、同署は自殺とみている。JR北海道によると、特急四本を含む列車四十本が運休するなど、約一万二千人に影響が出た。

(北海道新聞より引用)

2008年2月10日日曜日

第1陣は全員和解 札幌地裁 原告7人と国 新・道石炭じん肺訴訟

道内の炭鉱で働き、じん肺にかかった患者が国に一人当たり千百五十万円の損害賠償を求めた「新・北海道石炭じん肺訴訟」で、第一陣の原告七人と国との和解が八日、札幌地裁(中山幾次郎裁判長)で成立した。これにより、第一陣訴訟は原告二百四十六人(うち七十六人死亡)全員が国と和解し、終結した。第一陣訴訟で国が支払う和解金は総額約十八億円となった。
 八日の和解で国は七人に一人当たり六百六十万-九百十六万円、総額約五千八百万円を支払う。
 訴状などによると、原告は一九六○年から八六年の間に、粉じんが舞う北炭など道内各地の炭鉱坑内で働き、じん肺を患った。
 新・北海道石炭じん肺訴訟は、第一陣が二○○五年十月に提訴。さらに、昨年四月に第二陣四百七十七人、同七月以降に第三陣二百九十六人がそれぞれ提訴し、国との和解へ向けて協議を進めている。

(北海道新聞より引用)

2008年2月5日火曜日

子どもたちも環境問題を考えて 札幌で地球温暖化影響展

地球温暖化の現状や、影響を写真などで伝える「こども地球温暖化影響展」が二日、札幌市円山動物園で始まった。
 七月の北海道洞爺湖サミットに向け、子どもたちにも環境問題を考えてもらおうと環境省が主催。会場の一つの動物園センターには、温暖化の進んだ地球をイメージした直径一・二メートルの真っ赤な地球儀が登場した。
 子どもたちは、「青い地球になりますように」と願いを込めて青いシールを張り、火照った未来の地球を小さな手で冷ましていた。同展は十一日まで。

(北海道新聞より引用)

2008年1月31日木曜日

長かった真冬日 帯広25日、札幌19日間連続

道内は二十八日、寒気の流入が弱まった影響で、道内百七十四カ所のアメダス地点のうち道南や道央、道東地方などの六十四カ所で気温がプラスを記録。連続真冬日が続いていた道内の寒さは一段落した。
 日本気象協会北海道支社によると、二十八日の日中の最高気温は十勝管内広尾町で二・七度、苫小牧で二・三度、札幌一・七度などとなった。
 札幌管区気象台によると、真冬日は十勝管内陸別町や池田町、芽室町で昨年十二月三十一日から二十七日までの二十八日間続いた。帯広も一月三日から二十五日間、札幌、小樽は同九日から十九日間連続した。一九六一年の統計開始以来、帯広が二十二年ぶり、札幌と芽室は二十年ぶりに長い連続真冬日で、札幌は史上七番目の記録だった。
 札幌管区気象台によると、この暖かさは三十日ころまでで、その後は再び寒気が入り冷え込む見込みだという。

(北海道新聞より引用)

2008年1月25日金曜日

全道きょう強風雪予報

道内は二十四日、日本海側にある低気圧が急速に発達しながら津軽海峡付近を通過する影響で、朝から全道的に風雪が強まる大荒れの天候となる見込み。札幌管区気象台は、猛吹雪による交通障害、暴風や高波などへの警戒を呼びかけている。
 同気象台によると、降り始めから二十四日午後六時までの道内の降雪量は、太平洋側で五○センチ、日本海側・オホーツク海側で三○センチ程度が見込まれるという。最大風速も全道的に二○メートルを超えるほか、波の高さも同じく四-六メートルとなり、大しけが予想される。

(北海道新聞より引用)

2008年1月19日土曜日

人道支援21日から 2カ月遅れ北方領土へ

北方領土の元島民団体、千島歯舞諸島居住者連盟(札幌、小泉敏夫理事長)は十七日、北方四島に医療関係物資を無償供与する本年度の人道支援事業について、二十一日から四日間で実施すると発表した。外務省が千島連盟に委託し、二○○三年度から実施。本年度分は当初、昨年十一月下旬に運搬を予定していたが、ロシア側の手続きが進まず、二カ月遅れた。
 支援物資は手術台や注射器、除細動器など二・六トン分で、総額は前年度並みの約千三百九十万円。千島連盟の萬屋努副理事長、外務省ロシア支援室の川端一郎室長ら八人が二十一日に、チャーター船で根室市の花咲港を出発し、国後島古釜布、択捉島紗那、色丹島穴澗の三カ所に物資を届ける。花咲港には二十四日午後に帰港する。

(北海道新聞より引用)

2008年1月16日水曜日

中田「恋人います」 鎌ケ谷ファン交流会で熱愛宣言

怪物ルーキーが堂々の熱愛宣言! 日本ハムの新入団選手8人が13日、千葉県鎌ケ谷市のファーム施設で開かれたファンとの交流イベントに参加。高校生ドラフト1巡目の中田翔(18)=大阪桐蔭高=は質問コーナーで、会場に集まった500人のファンに恋人の存在を明かした。グラウンドを離れても大物ぶりを発揮する新人スラッガーは、彼女を心の支えにプロの荒波を乗り切る。  合同自主トレ終了後、真新しいユニホームに着替え、鎌ケ谷市などの主催で開かれた新入団選手歓迎式典とファン交流会に出席した中田。サインボールのプレゼントや、じゃんけん大会でファンと盛り上がる中、質問コーナーが始まると、大胆発言を連発した。  「北海道で行きたい場所はどこですか?」の問いに「ススキノにちょっと行ってみたい」と語り、会場の爆笑を誘った。自然あふれる北海道の数ある景勝地や名所を挙げず、あえてオトナの繁華街を選択。司会者に「(本当は)札幌ドームですよね」とフォローさせるのも大物の風格だ。  そして極め付きは定番の「彼女はいるんですか?」。最初にマイクが回った宮西尚生(22)が「ご想像にお任せします」とぼかしたが、津田大樹(18)が「います」とキッパリ言うと、後続の各選手はイエスかノーかの2択で回答。順番が回ってきた中田は「募集中、と言いたいところですけど、います」と発言。驚きの声がわき上がった。  鎌ケ谷でも毎日、大勢のファンにサインや握手を求められ、黄色い声援を浴びることも多かった中田。千葉県内から訪れた20代の女性会社員は「(彼女が)いたとしても、この場で言うとは思わなかった」と、びっくり。東京都在住の40代主婦は「正直に言うところが中田君らしい。もっと好きになりました」と感心した。  交流会が終わって寮に戻った中田は「言わなかった方が良かったですかね」と苦笑い。「でも本当のことなので、正直に言いました」。彼女は年下で、1年4カ月の付き合いなるという。球団幹部の1人は「芸能界ではないんだから、ああいうのはちょっと…」と、プロ生活に慣れない新人たちを気遣い、プライベートに触れたやりとりに困惑していたが、素直に対応した“男前”。中田はさらに、その魅力をファンの間に広げたようだ。

(北海道新聞より引用)

2008年1月11日金曜日

市電沿線再発見しよう 札幌でフォトラリー 10施設対象、抽選で景品も

札幌の路面電車(市電)沿線の連合町内会や商店街振興組合などでつくる「市電の会」(吉中新太郎会長)は、あらかじめ指定した建築物などを撮影して回る「市電沿線歴史再発見フォトラリー」を実施している。
 市民や観光客に、市電沿線の歴史や魅力を再発見してもらおうと、同会が初めて企画した。
 沿線の近くにある市資料館(中央区大通西一三)や、札幌南高の「六華(りっか)の門」(同南一八西六)といった歴史的な建築物など十施設を、ラリーポイントとして指定。参加者は市電に乗ってポイントを巡り、写真を撮影する。
 撮影した写真と乗車券などを、同会事務局の中央区役所地域振興課に送付するか、持参する。抽選で、「ぶらり賞」(三施設以上撮影)として二十五人に道産小麦100%のラーメンの詰め合わせ「おまち道産ラーメン」(二千円相当)、「まちあるき賞」(全十施設撮影)として十五人に二千円分のクオカードをプレゼントする。
 同会は「子どもたちは冬休みの自由研究のテーマ、大人には観光名所巡りとして、気軽に参加してほしい」と話している。実施期間は二月二十九日まで。
 撮影場所などを説明した冊子は、市交通案内センター(地下鉄大通駅)や中央区役所、市電の車両内などで配布している。問い合わせは同区役所地域振興課(電)011・231・2400内線219、253へ。

(北海道新聞より引用)

2008年1月2日水曜日

文芸オホーツク賞、5年連続大賞なし 佳作は佐呂間・林さん

市文化連盟の文芸誌「文芸オホーツク」第十六号の掲載作品を対象にした「第十三回文芸オホーツク賞」の選考結果が二十七日、発表された。大賞は五年連続で該当者がなく、佳作、奨励賞、敢闘賞に一人ずつ選ばれた。
 佳作は佐呂間町の主婦林ゆり子さん(57)の短歌「体内時計」、奨励賞は紋別市の歯科医斎藤望さん(49)のエッセー「哀車(あいしゃ)」、今年も特別に設けられた敢闘賞は紋別市の無職五十嵐正彦さん(84)の体験記「夜の雨 他一編」。
 三人とも受賞は初めて。林さんの作品は「昨年、佐呂間を襲った竜巻災害の惨状への無念さが伝わり秀逸」(小川昭一郎選考委員長)、斎藤さんの作品は「意中の人との恋愛、破局など人生のドラマを自分の愛車の歴史に組み合わせて巧みに表現している」(桑原章選考委員)と評価された。五十嵐さんの作品は「戦争の愚を語り継ぐ姿勢に敬意を表したい」(住吉栄樹選考委員)という。
 大賞が見送られたことについて小川委員長は「(賞にふさわしい)インパクトのある作品がなかった」と説明した。
 文芸オホーツクは年一回の刊行で、第十六号にはエッセーや短歌、詩など札幌や東京在住者を含む遠紋関係者三十五人の作品が収録されている。

(北海道新聞より引用)